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コンティキ、ライフ・オブ・パイとは似て非なる漂流記

by • June 16, 2013 • GossipComments (0)8889

If You Love Life Of Pi, Kon-Tiki Is A Must.

映画「コンティキ(Kon-Tiki)」 。今年のアカデミーとゴールデングローブの外国映画部門の両方でノミネートされるという、ノルウェー映画で初の快挙を成し遂げた作品です。ポリネシアで人類学の研究を10年行ったトール・ヘイエルダール氏率いる6名の一行が1947年、島民の言葉と花をはじめとした類似点を理由に、ポリネシア人の祖先がインカ文明を背景としたネイティブ・インディアンだとする仮説を証明するため、ペルーから8000km離れた太平洋諸島を目指すストーリー。バルサ材を組み立てた筏と帆のみ、無線やラジオ、水など食料以外は当時そのままでポリネシアを目指すという、今でも無謀なこと間違いなしの漂流記です。

岩手県から米国ワシントン州に相当する8000kmの距離を筏で横断なんて、クレイジー過ぎます!
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太平洋を漂流するというあらすじを聞くと、否が応でも思い出すのがアカデミー賞で「視覚効果賞」、「監督賞」など4部門の栄冠に輝いた「ライフ・オブ・パイ」。「ライフ・オブ・パイ」の製作費は1億2000万ドル(114億円)、目も覚めるような映像美と数々の隠喩を織り成した作品でしたよね。こちらも9200万ドル(87億円)を費やしただけあって、映像美に秀でてますよ。ポリネシアの鮮やかな緑に空と海のマリンブルーのコントラスト、筏の下に広がる透明度の高いターコイズの海を悠々と泳ぐ鯨、乗組員の足先をかすめる鈍く光るサメの肌・・。「ライフ・オブ・パイ」に及ばずとも、目を奪われるシーンに満ちてます。

映画のタイトルで太平洋を横断する筏の名前である「コンティキ」がインカ帝国の太陽神ビラコチャの別名にあることから神、あるいは宗教がもうひとつの共通点として浮かび上がりますが、ここでは映画の根幹を成す意味は含まず。「ライフ・オブ・パイ」でふんだんに散りばめたメタファーも乏しい。また、「コンティキ」にて予想される人間の醜い部分は一切ありません。コンティキ号の乗組員6人の間で諍いが起こるのは、ほんの数回。火花が飛び散りそうなシーンでも視線のバトルで終わって、ハリウッド映画に慣れた人ならちょっと物足りなさを感じるかもしれません。

6人の乗組員、中央がヘイエルダール氏。
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でも、実際にあったお話だからこそ、人間の生き様が浮かび上がるというものです。

以下、ネタバレに注意です。

ヘイエルダール氏をはじめ乗組員の人間性は、特筆すべきものがあります。無線技師の助けで一命を取り留めた冷蔵庫セールスマンの乗組員に対しチームを率いるヘイエルダール氏が「僕なら君を助けられなかった・・泳げないから」と告白したシーンで、名著「蠅の王」を連想させる冷蔵庫セールスマンは「皆知ってるよ」と静かに受け入れるんです。またあるときは、乗組員とともに旅するオウムが、アンテナを嘴で切ってしまう。それでも無線技師はオウムを愛し抜き、オウムが鮫に無残にも食べられてしまうとバイキング魂そのままに素手で背びれをつかみ、槍を差し込んで殺してしまいます。もう1人の無線技師は阿吽の呼吸で鮫の腹をナイフでえぐり、オウムを探そうとするんです。同士としての結束力の強靭さが感じれませんか?

乗組員がヘイエルダール氏を含め、冒険ロマンに夢を抱く人々であったことも興味深い。コンティキ号での漂流後、冷蔵庫セールスマンはペルーに舞い戻って魚肉会社の社長を経て国連の国際連合食糧農業機関(FAO)の事務総長に就任。無線技師の1人は第2次世界大戦で従軍した経験もあってノルウェー空軍へ入隊し、もう1人の無線技師は探検を続けスキーで北極横断中に命を落としております。

当のヘイエルダール氏は・・・彼は結婚していたんですよね。1930年代当時、ポリネシアでの人類学研究に同行した女性リズと2人の息子に恵まれていたんです。それでも、彼は無謀なる賭けにノルウェーで待つ妻に相談せず太平洋横断を決断してしまいました。ポリネシア人の祖先がネイティブ・インディアンとする自身の仮説がニューヨークでの学界、出版業界に認められず思い余った夫の独断に、妻の返事はクリスマス前とあって「メリー・クリスマス」。夫はタヒチで待つように促しましたが、答えなかったんです。

ペルーのカヤオ港から漂流101日後、約8000kmを経て陸地にたどり着く直前、乗組員で年少時代に凍った池に落ちた救った親友エリックからヘイエルダール氏は妻からの手紙を受け取ります。奇抜な案でラロイア環礁を乗り越えツアモツ諸島へ漂着してやっと開いた妻からの手紙に、「私はタヒチにいません」と書かれてありました。リズは皮肉にも2人をつなげた彼のあくなき探究心が2人を引き裂く理由になったと説明し、夫に離婚を切り出すのです。

リズはポリネシアで生活する間、片足を膝から下を切断するほどの感染症に見舞われました。近くを航行する大型船に救助を求めるため夫は妻を抱え、森を駆け抜けます。道中で研究結果をつめたカバンが地面に転がり落ちたときに、インクがにじむ資料を必死でかき集めたのは、他ならぬ足から血を流す妻リズでした。誰より夫の研究への熱意と献身を理解した妻が、最後に夫を見限ったんです。

きっと分かっていたんでしょうね、夫が今回の成功を引き金にさらなる冒険に出てしまうことが。ヘイエルダール氏が撮影したコンティキ号の冒険は1951年のアカデミーでドキュメンタリー賞を獲得し、出版した「コンティキ号漂流記」は65ヵ国で翻訳され5000万部発行のベストセラーとなりました。それでも彼は飽き足らず、1969年にアステカ文明はエジプト文明に由来するとの仮説をもとに、葦製の船「ラー号」でモロッコからカリブ海を目指す旅を敢行し、1年後の再挑戦で果たします。1977年には、同じく葦製の船「チグリス号」でインド洋を渡りました。

愛していたからこそ、妻の判断は正しかったといえるのではないでしょうか。

ノルウェーのオスロにあるコンティキ美術館では、ヘイエルダール氏達の栄光を称え当時の筏を展示しています。
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