あれは2006年の冬の頃でしたでしょうか。土曜の朝11時半に家の電話が鳴って起こされ、その後寝付けなくなり諦めてベッドから降り立つと、携帯電話にVoice Mail(留守電)サインが点灯していました。確認すると、1年以上会っていない警察官の友達からだったんです。「36-37丁目の5th Avenueで警備してるから、say helloしに来てよ」と言うので、近所だから行ってみるかと思い14時過ぎに5thに出てみると、パレードを行なう時に歩行者道路と車道との間に立てるプチ・バリケードが張り巡らされていたんですね。
はて?パレードのシーズンは終わったのにと思って近づいてみると、プラカードや横断幕を持った人々がアップタウンから南下してきております。しかも34丁目と5thの十字路は完全に封鎖され、全く通りを横断できない状況。何のパレードかな、と思ったら警察官に対する抗議活動としてマーチングしてたんですね。
↓映画「Cry Freedom」ならぬ「Cry Justice」というところでしょうか。Denzel名演でしたねぇ。
事件は3週間前にさかのぼります。武器を保有していなかったクィーンズの23歳の黒人青年が警察官による50発もの銃弾を車に浴びて射殺されました。彼は結婚式の前日に殺害されたでの、NY地方局のNY1チャンネルでも盛んに取り上げられました。今回の抗議活動は「Shop forJustice」として展開していましたが、参加者は数千名に及んだそうです。
友人に会おうと思って外に出たら、途切れることなく5thを歩いていく人々を目の当たりにして、度肝を抜かれました。34丁目を6 aveに向かって歩くと、マーチングする人々の横を走る車が賛意を示すためクラクションを鳴らす場面も。いつまでこんな人種問題に絡むプロテストが続くのか、と残念な気持ちでいっぱいになりました。
↓公民権運動の祖、アル・シャープトン師も参加。キダ・タロー(右)を彷彿とさせるような気がするのは、私だけですか?
で、立ち往生すること30分。マーチングする人々の流れが切れ、バリケードが解かれ、ようやく5thが正常化した頃に36丁目にたどり着きました。NYPDに正義を求める抗議活動を目撃した後に警官の友人に会うのは何となく変な気持ちが大衆の熱に浮かされたんでしょうか。ちょっと複雑な心境でしたが友人から「バンド活動を再開して今年、新しくアルバムをリリースすることが決定したんだ」と聞いて、ようやく距離が縮まった気がしました
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大人な卓球。