毎週末は必ず、ときには火曜や水曜から足を運び、夜な夜な喧騒と饗宴に耽溺した酒とバラの日々。僕らの舞台はTwilo(トワイロ)だった--。
との言葉は、3連休を控えた木曜日に家人が口した言葉。類は友を呼ぶもので、私も神戸時代から相当やんちゃしていたものでしたが、彼も社会人になってまもなくクラブキッズの仲間入りをしていたんです。90年代半ばからスタートしたナイトライフという舞台でも、特に思い出深い店のひとつが、トワイロだったとか。この思い出の場所に、私は家人と彼の友人とともに再び足を踏み入れることになりました。
↓当時はご覧の盛況っぷり。テクノやハウスの伝説的DJがスピンしていたそうです。
同時多発テロ事件が発生する直前の2001年に幕を閉じるまで、足繁く通ったというこのお店。倉庫が立ち並ぶエリアをクラブへ変貌させただけに、かなりの集客数を誇っていたといいます。数年後、同時多発テロ事件後の不況とITバブル崩壊をくぐり抜け景気が上向いた頃には、Home(ホーム)とGuesthouse(ゲストハウス)がTwiloに代わり、NYのクラブ界で名を馳せました。Homeはヒップホップ系、Guesthouseはハウス系のクラブで、両者は入口こそ別々ながら、1本の廊下でつながっており、コネクションがある人々がこの廊下を通じて行き来したものです。
HomeとGuesthouse、終焉は金融危機とともに訪れました。一時期はMTVのパーティーや当時絶大な人気を誇った女性ラッパーのミッシー・エリオットのミュージック・クリップにも使用されたものの、Twiloがクローズしてから約7年後の2008年5月には、同じ陥落の道をたどりました。Bungalow 8(バンガロー8)、Pink Elephant(ピンク・エレファント)、Mansion(マンション)など、27丁目周辺に集まっていたクラブで真っ先につぶれてしまった記憶があります。
↓27丁目の角からは、この辺りまで長蛇の列ができていたのも、今は昔。
↓今となっては、クラブの看板ならぬ雨よけだけが残る落ちぶれっぷり。
トワイロが閉店に追い込まれてから、約11年後。そして私にとっても感慨深いHomeとGuesthouseが姿を消してから、約4年後。新たなる歴史が刻まれることとなりました。クラブキッズが夢のあと、The McKittrick Hotel(ザ・マッキトリック・ホテル)と名を変え、ナイトライフの1ページを書き込みつつあります。私達、あの頃の記憶を紐解いて胸を高鳴らせながら、階段を上ったことは言うまでもありません・・。一体何が始まるというのでしょうか。(明日に続きます)。
↓ホテルの名をかたる看板が光るものの、ロビーらしき入口が見当たらないから不思議。
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