‘Ghosting’, It’s So Cruel And Hurtful.
デミ・ムーアとパトリック・スウェイジの映画といえば「ゴースト/ニューヨークの幻」。1980年代、治安の悪い時代のNYを舞台に強盗に命を奪われた男性が幽霊と化し、恋人を守ろうとするラブロマンの王道です。
この「ゴースト」、アメリカでは別の意味で使用されるようになって久しい。
甘く切ない映画とは裏腹に、意味は「無視」。突然、交際相手と没交渉に陥ることです。故パトリク・スウェイジ演じる男性とは違い、生きているのに完全に姿を消す相手を「ゴースト(ghost)」、そのような行為を「ゴーストする(ghost, 進行形でghosting)」と表現します。最近では、アカデミー俳優ショーン・ペンを袖にしたオスカー女優シャーリーズ・セロンに使われました。
仲睦まじく手をつないで歩く2人、今では幻のよう。
(出所:Splash News Online via People)
いきなり姿を消すなんて、卑怯ですよね。単純に数回のデートでフェイドアウトするのではなく少なくとも半年、頻繁にデートを繰り返しお互いを「恋人」と認識していたケースだと、された方のダメージは計り知れない。56歳で再々婚した弁護士の白人男性いわく「僕は何度となくする側される側を経験したけど、身体的あるいは精神的な危害が及ぶ場合を除き『ゴーストする』なんて人として決してやっちゃいけないよね」と反省していました。よほどの事情でなければ、相手を「黙殺」するような行為はすべきでないと筆者も感じます。
概してこういう行為の戦犯は、「テクノロジー」とされがち。昔と違って携帯、メール、ソーシャルネットワーク、チャットアプリなどで直接連絡できる手段が増えましたからね。挙げ句の果てに既読マークが表示されるため、テクノロジーの進化が逆に人間関係に摩擦を生む始末。そんな自分の気持ちを人に伝えるだけでなくSNSに更新して・・ネットワーク内での共感が簡単になりました。石原慎太郎元知事ではないですが「Noと言える」人々が減ってきたというより、むしろテクノロジーの進化で表面化しただけなのかもしれません。
「わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」とは、元親親王が詠った百人一首のひとつ。「愛してはならないあなたとの逢瀬が露見してしまったとはいえ、想い悩み苦しむくらいなら、難波潟にある澪標(船用の標識)のように身を尽くしてでも会いに行きたい」——そんな気持ちを表しています。道ならぬ恋でもないのに会えなくなってしまった場合、喰らいつく気持ちで立ち向かうのか。それともその程度の相手と吹っ切るのか。一番の復讐は自分が幸せになること、と考えれば断腸の思いで耐えるしかない?
(カバー写真:Fatpie live journal)
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