うちの会社、ニュース部門とETF部門があるんですよ。で、ETF部門はもともと米国の会社ですから、社員はノン・ジャパニーズで占められてます。アメリカ人が一応はマジョリティで、その他はロシア、インド、イスラエル出身者だったりするんですよね。
このノン・ジャパニーズの彼らが非常におもしろい。一人は奥さんがアメリカ人で、日本人女性と交際した経験が皆無にも関わらず、スターウォーズの監督ジョージ・ルーカスのごとく日本文化大好きなアメリカ人なんですよ。どれだけ好きかというと、にごり酒を日本酒として認めなかったり、会社のサイトで農産物ETNを紹介するときにあずきを「Read Beans」と英語で表記せず、「Azuki」として掲載するというマニアックさ。同僚のエンジニアチームから「What’s that(何それ)???」と呆れられてましたよ。
アメリカ人に青酎をプレゼントすると、狂喜乱舞してましたね。でも、お願いだからジャパニーズ・ウォッカだからって、青酎でマティーニは作らないで・・・。
↓日本に帰国した際、青酎欲しさに私に200ドルを手渡した彼。私の分も予算に入れてくれてたんですよ・・(感動)
ロシア人からは、たってのお願いで日本語ひと言講座を開いてあげたり。190cm近い体躯を折り曲げてiPhoneに教えた日本語をロシア語の発音表記で書いていく様子は、ホントかわいらしい。今では「オハヨウ」、「マタネ」が挨拶になってます。
極めつけは、このインド人でしょう。たまにランチをご馳走してくれる彼。よく「Let’s grab some drinks!」と誘ってきていたのですが、時間が合わずスルーしていたのですよ。しかし言われ続けて約1年。ようやく機会が巡ってきたので、うちの近所のパブCrooked Knife へ連れて行ったんですよ。
店内はバーカウンター周辺にアイルランド人やらイギリス人がつめ掛け、座れる椅子は見つからず。お店右側にあるレストランで飲もうとウェイトレスさんを呼ぶと、インド人いわく、「No, it’s like lunch, I like to stand and drink like those people over theere(ランチみたいじゃん、向こうの人たちみたいに立って飲みたいんだけど)」と注文をつけるではありませんか。
↓日曜の夜更けにしか行かないから知らなかった、ここ平日は結構混むんですねぇ。
喧騒が渦巻くバーカウンターで隙間をみつけ、陣取ることとなりました。ちょうどバーカウンターから死角に入りそうな角に椅子をみつけた後、インド人に「What do you wanna drink?」とたずねます。するとこのインド人、「That’s a good question」と言いながら、「I don’t usually drink, I’ll have what you have(普段飲まないんだよね、君と同じでいいよ)」なんて味気ないひと言が返ってきたのです。
バーテンダーへ手を振ってブルームーンを2杯オーダーした後で聞くとこのインド人、いつも自宅と会社の往復で、家でも晩酌しないんですって。ランチで日本食レストラン伊勢に出かけたときには、お店に入って開口一番「We should order SAKE(日本酒頼もうよ)」と提案していただけに、酒好きかと思ってたんですよ・・・予想外の返事に、目からウロコでした。
↓ブルームーン、オレンジと一緒に頂きます。まろやかな口当たりが心地酔い?
驚愕の真実への扉は、実は開いたばかりだったのです。
彼はお酒をほとんど知らないんですよ。ビールの銘柄もバドワイザー、ハイネケン、ステラ程度。ウォッカやラムも当然知識としてはあるものの、味を知らないと言います。
不思議に思って「Wait, didn’t you take your wife or ex-girlfriends to the bars or lounges when you were dating?(ちょっと待って、奥さんと付き合ってた時とか元彼女とか、デートしてた時に飲みに行ってたんじゃないの?)」とたずねると、BARはおろか、そもそも
「I’ve never been out drinking(飲みに行ったことがない)」
だなんて、酔っ払いすら我に返っちゃうような爆弾を落としたんですよ!!!!!だって、彼40前ですよ??
聞けば、父親も実家で晩酌を交わすこともなく、米国に来て1年足らずでインドに戻った際には、両親から結婚を勧められたんですって。候補の女性の写真を何枚も神経衰弱のように開けていきながら、これと思った女性に会いに行き、家族同伴でお見合い。めでたく両者が気に入り、結婚にいたったんですって。
幼少の頃から男女別々に教育を施され、そもそもガールズとの接点がなかった彼。恋愛の「れ」の字も知らず、米国に出てきても仕事に明け暮れる毎日。おまけに米国で初めて勤務し約10年勤めた会社は金曜にオフィスで飲み会を開く程度で、外へ飲みに行くことは皆無だったらしいのです。
↓カーマ・スートラを生み出した国ですが、恋愛沙汰には相当ナイーヴなんですね。
というわけで夜遊びという甘~い果実をすすることなく、今まで真っ直ぐ人生を歩んできた彼。しかし、彼の中に悪魔は存在したようですね。私が夜遊び談義を披露していたせいか、ふつふつと込み上げて来る欲求に耐えかねたようです。それで、私に何度も飲みに行こうとせっついていたというわけ。
彼、実は転職が決まって欧州系金融機関に移るのですよ。それもあって、「I want you to take me out to where you usually go and show me your world(君が行くところに連れて行ってほしいんだ)」とお願いしてきたわけですね。挙句の果てには、真剣な顔で「I do NOT want to regret my life when I get older realizing I had done nothing I could have done(お爺さんになったとき、すべきことをしなかったなんて絶対後悔したくないんだよね)」って力を入れてカウンターにコブシをぶつけてました。
十人十色と言いますが・・・こんな無色透明な人、初めて会いましたよ。というわけで、彼は私に夜遊びの弟子入りです。どうか彼が20代のかわい子ちゃんを見つけて、浮気の道に走りませんように・・・。
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