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MLBオールスター戦前、おぼえておきたい背番号「42」の歴史

by • July 10, 2013 • Latest NewsComments (0)4971

42,The Number MLB Will Always Remember.

大リーグのオールスター戦1週間前に、もうひとつ野球のお話。

4月12日、全米で「42」という映画が公開されました。第2次世界大戦終了後、彗星のごとく現れた黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソン選手の葛藤と成功を追った歴史的作品です。

ハリソン・フォードを筆頭に配役からジャストミート!こちらにあるトリビアは要チェックもの。
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スポーツ記者でジャッキーの付き人を務めたウェンデル・スミスの目を通して描かれるジャッキーのメジャーリーグ入りは、こんな風にして始まります。ニグロ・リーグと呼ばれる黒人だけで組織されるプロ野球リーグに所属するジャッキーは、遠征中のバスがガソリン・スタンドで給油するにあたって、用を足そうとします。

トイレのドアを開けようとしたジャッキーの背中に、白人の店主はこんな罵声を浴びせるのです。「そこは白人用だ、お前が使うところじゃない」。ジャッキーはドアの前でクルリと踵を返し、ギロリとにらみつけながら「ガソリン・スタンドはここだけじゃない」と別の場所で給油すると揺さぶりをかけ、ようやく白人用トイレを利用することが可能となりました。黒人と白人が共に戦って勝利をもぎ取った戦争を経ても、人種分離・差別が日常のそこらじゅうにはびこる、そんな時代だったんです。込み上げる屈辱を水に流してトイレを後にしたジャッキーを待っていたのが、NYを本拠地とするブルックリン・ドジャーズ(現LAドジャーズ)のスカウトマンでした。

ジャッキーの人生を単なる黒人リーグの一選手から大リーガー初となる伝説の選手というスターダムに押し上げたのは、ドジャーズのゼネラル・マネージャーだったブランチ・リッキー氏その人。なぜ白人であるリッキーがプロ野球リーグですら白人と黒人を分離する時代に黒人をメジャーリーグ入りさせたのか、不思議に思うはず。ジャッキーの率直な質問の質問に、「金は黒でも白でもない、グリーン(緑)なんだよ」と人種差別がお金儲けの前では無意味だと笑い飛ばします。オバマ米大統領の名演説である「アメリカに赤(共和党)も青(民主党)もない、あるのは団結したアメリカ(United States of America)だ」を連想させますね。

リッキーがジャッキーという当時としては掟破りの大リーガーの育ての親となるからには、彼自身も世間の非情な抗議、反対、苦情、批判の最前線に立たされました。自らの部下が異議を申し立て、本棚・引き出しいっぱいに寄せられた抗議文が表すように大多数のアメリカ白人を敵に回してまで、先見の明をもってお金儲けしたかったのでしょうか?ジャッキーに対する白人の危険なまでの弾圧を、考えなかったのでしょうか?

ジャッキーが行く先々は黒人差別が背骨にまで染み込んだ白人からの脅迫は日常茶飯事で、念願叶って二軍在籍からわずか1年でドジャーズと契約を交わしてからは、試合に出場すればピッチャーに危険球を投げられ、チームメイトには入団拒否の陳情まで提出される始末。それでも、ジャッキーは歯を食いしばって耐え忍びます。

しかし、フィラデルフィア・フィリーズとの一戦で、ついに忍耐の緒がプツリと切れてしまうのです。打席に立つごとにフィリーズのベン・チャップマン監督がダッグアウトから飛び出し、ここではとても書ききれない罵声と侮辱を浴びせ続けたんですから。リッキーから「(差別・屈辱に)反撃しないい気骨のある選手たれ」、「何があってもジェントルマンであれ」と教え込まれたジャッキーは、ただひたすら身体に心に突き刺さる痛烈な野次を受けるしかありません。内野フライで終わった3打席目には、ついにダッグアウト裏へ降り木製の長いバットを折れるのも構わず壁に何度も打ち付けます。絶叫して床にへなへなと倒れこむジャッキー。そこへ、ネット裏で観戦していたリッキーが現れるんです。

「次に罵倒する白人の歯をへし折ってやる」と凄むジャッキーに、卑劣な罵りに抵抗できない無力感を味わった経験はないと歩み寄るリッキー。まるで牧師のように徐々に声を挙げつつ「ここにいる誰もが君を必要としているんだ、君は薬なんだぞ!」と不平等な世の中に変革をもたらす旗手となるべき運命を諭すのです。バットで見返してやれ、と背中を押しながら。

牧師調なトークは、リッキー自身が熱心なメソジスト教徒だったからでしょう。
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映画の終盤になって、リッキーはこうジャッキーに告白します。かつて黒人の有望選手が存在し大リーガーに引き上げたかったにも関わらず、何もできず無力を味わったと。当時の苦い経験がリッキーをして、ジャッキーという比類ない天才を大リーガーに迎え入れる原動力になっていたんですね。結果、見事にジャッキーはリッキーの期待に応え1947年、新人王に輝くのでした。

映画では、史実がゆがめられている場面が確かに存在します。例えば早くからジャッキーに心を開いたチームメイトの一人で、映画では自身が生まれ育ったオクラホマ州シンシナティの球場でジャッキーの肩を組んだとされるピー・ウィー・リース遊撃手。ジャッキーに対し「明日にでも、選手みなで背番号『42』をつけようぜ。そうすりゃ誰も見分けつかないよ」と発言した人物として描かれています。しかし、この名言を放った選手はジーン・ハーマンスキー外野手であり、ジャッキーが大リーグに鮮烈なデビューを飾った1947年ではなく1951年でした。

それでも、この映画は見ごたえ十分です。

ジャッキーと共に有色人種に大リーグへの門戸を開いたリッキー、1950年には当時はドジャーズ落ちとして忌み嫌われていたピッツバーグ・パイレーツのゼネラル・マネージャーに移籍し、プエルトリコ人のロベルト・クレメンテ選手をヒスパニック系として初めてメジャーリーグのグランドに立たせました。約20年を経て、村上雅則投手を皮切りに日本人選手がこうした流れの後に続いたと思うと・・・オールスターを観戦する目も、変わりませんか?

そうそう、映画公開の4月12日はジャッキーがデビューした4月15日にちなんで選ばれたんです。この日はジャッキー・ロビンソン・デーとして偉大なる功績を称え、大リーガー全員が背番号「42」をユニフォームに掲げる1日。全米各地のグランドで「42」が溌剌と球場を駆け抜ける姿は、壮観ですよ~。

4月15日のジャッキー・ロビンソン・デー、私も球場で体感したい。
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